自分を極める十牛図 三の「見牛」

自分を極める もともとのいのち
この記事は約2分で読めます。
自分を極める十牛図 二の「見跡」
「十牛図」2枚目の絵は、牧人が探し回り、牛の足跡を発見しました。 牛がどこにいるのか、ようやく手がかりつかんだ状態の絵が「見跡(けんせき)」です。 どんな意味があるのか、分析します。 見跡:自分の中にある良い資質の手ががり見つける...

「十牛図」3枚目の絵「見牛(けんぎゅう)」では、ふと顔をあげてみると、牛の姿が目に入ります。

しかし、牛はまだ一部しか見えません。ここが「見牛」のポイントですね。

牛に「気づく」

「十牛図」見牛(けんぎゅう)

「禅」では「気づき」がとても重要です。
「気づき」は行動の動機付けになるからです。

禅、仏教で伝えようとする「気づき」は、生きることのあれこれは頭で理解すればよしとするものではなく、行動で触れることが目的なのです。
悟りとは、気づきの「行動」(実践)なのです。
つまり人生の智慧とは、表面的なことではなく、行動の底辺にあるものです。

しかし、みんなが気づくわけではありません。
そこで「公案」という気づかせることを目的とした質問を投げかけます。

公案:禅宗で、悟りを得るために与えて工夫をさせる問題。

そこにいる=気づきの瞬間=いまここに

見牛

「十牛図」3枚目の絵「見牛」のシーンを想像してみてください。

ふと顔をあげてみると、牛の姿が目に入った瞬間、そこにいると思います。

そこにいると思った瞬間、心の底では「いまここ」にいることになります。

つまり次の5枚目の絵「得牛」の瞬間になります。

「見牛」と「得牛」は、ほぼ同時に起こったと言えるのではないでしょうか。

 

牛は、自分なので、見牛の段階で、全体像に近づけば近づくほど、修行を積めば積むほど、遠くにぼんやりと見えていた本来の自己が「いまここ」にはっきりとします。

まとめ

「十牛図」見牛の本質は、そこにいると知った瞬間、心の底では「いまここ」にいることになります。気づいた自分を知ることにあります。

気づけば行動する。禅の鉄則です。

人生脚本に支配されている自分に気づくことは。人生脚本から解放される自分を実践することです。

そこに見牛の意味があり、同時に得牛に発展します。もし得牛に発展しないのなら見牛の価値はなくなってしまいます。

 

気づき」は、生きることのあれこれは頭で理解すればよしとするものではなく、行動で触れることが目的なのです。
マインドフルネスなファイナンシャルプランニング
100年ライフお金のゴエス|マインドフルネスなライフプランの手順
お客様を決して孤立させないのが、マインドフルネスなファイナンシャルプランニングの特長です。FP(ファイナンシャルプランナー)は、資産の最大化を目的とする投資アドバイザーとは異なっています。人生100年時代を生きるライフプランの伴走者です。お客様と協働するライフプラン7つの手順をご紹介します。

コメント

タイトルとURLをコピーしました