
あなたのいちばん大切なものはなんですか?
全般に、わたしたちは見えるものはわかるけど、見えないものはわからないと言います。
だから、見てもわからないものは聞いてもわからないといいます。
だったら、見てもわからないものは自分で作るしかないのではないでしょうか?
「神が通る川」と名付けられた川で、実際に神が通るのを見た人はいないと思います。
それが創作であったとしても、そうしか名付けようがなかったのは、水に畏敬の念を抱いた人がいたからだと思います。
見てわからないものは、
松川で桜と水あそび
ボクは、富山県・神通川の支流と言われる富山市内の松川の両岸に咲くおおよそ450本のソメイヨシノの木のから、風で飛ばされる桜の花びらを拾い集めていました。
花あそびはいのちのあそび。
いちまい、いちばん、いっこ、ひとつ、ひとり・・・いちまい、いちまいにもともとのいのちをとおします。
本当は花ではなく、水あそびがしたいのです。
諸行無常、常に移り変わる川の流れのようであるなら、もともとのいのちをとおした花びら、いちまいを神の通る川に流したい。
そんな思いで神通川ネット。
富山市を流れる川、松川。
全国さくら100 選 松川公園
満開の桜のトンネルの下を遊覧船が行き交う風景には情緒があり、松川公園ともに日本さくら名所100選に選定されています。しかし松川の桜はひとつしかありません。
100選から外れても、1なのです。
松川はかつて神通川の本流が富山市中心部を蛇行して流れていた跡であることが知られている。そのため富山県民にも現在でも神通川からの水が流れていると思いこんでいる人がいます。
かつて神通川は富山城下やその後の富山市の中心部を蛇行して流れており、たびたび氾濫して被害が甚大でした。明治時代なっても神通川は暴れ川とも呼ばれ、神通川の改修が行われ本流は富山市の西部を直線的に流れるように流れが変えられたのです。
その後、富山市の都市計画により元の本流(神通廃川地)は埋立てられて平地ができ、そこに現在の県庁、市庁舎、公園などが建設整備されました。
その結果、川幅は狭まって現在の松川となりました。
桜のついた町々
改修後に周辺の松並木にちなんで「松川」と呼んだのが松川の始まり。
現在は、松に代わってソメイヨシノが植えられています。
周辺には桜橋通り・桜町・新桜町・桜木町のように「桜」のついた町名が多く華やかな印象を強めています。
ピンクの桜とブラックラーメン。
富山県の七大河川
自分が富山の人との会話で知り得た情報はこんなものですが、現在、実際には松川に合流している四ツ谷川、冷川、佐野川はいずれも常願寺川水系だといいます。
富山県の七大河川(黒部川、片貝川、早月川、常願寺川、神通川、庄川、小矢部川)の一つ、常願寺川の由来は「出水(=氾濫)なきを常に願う」という沿岸住民の度々の洪水に対する気持ちをこめたものです。
「氾濫にならないよう常に祈願した」という意味合いから常願寺川と名づけたといわれるほどの暴れ川。
標高2400m付近からわずか56Kmの距離で流れる川は世界での例がなく、今から約100年前、治水対策に招いた政府の顧問であったオランダ人技師デレーケは、常願寺川を見て「これは川ではない。滝である」と驚いたという話が残っていますが、同じ話を神通川についても聞きます、
どちらが本当なのでしょう。どちらもそうであっても間違いではない気がします。
確かな情報を求める気もない「水あそび」の旅したいと思っています。
まとめ
見えないものは、予測するのも難しいものです。
自分で創作することで、予測する力も育っていきます。
予測する力が育つと見える力も育ち、洞察力も高まります。
「神通川」は富山の人には、ふるさとのような響きを持っています。
神通川がその時々の人々の感情を見守ってきたのではないかと思います。
神通川ネットは、あなたの心をふるさとのようなぬくもりに誘います。
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