「十牛図」2枚目の絵は、牧人が探し回り、牛の足跡を発見しました。
牛がどこにいるのか、ようやく手がかりつかんだ状態の絵が「見跡(けんせき)」です。
どんな意味があるのか、分析します。
見跡:自分の中にある良い資質の手ががり見つける
「十牛図」2枚目、見跡は、3枚目の見牛につなぐ重要な絵です。
見跡を理解することが見牛の理解につながるので、見跡を軽く扱わず、重要ポイントとしてとらえましょう。
牛は、本当の自分のことですから、ここでは日々の暮らしはつづけているものの、これは自分が望んでいる自分のあり方ではないと気づいた状態といえます。
気づいた要因は、身の回りにあった情報、近づいてきた情報・・・なので、生きた情報ではありません。
人間は生物なので、行動から得なれば、本物の気づきにはなりません。
つまりライフプランの実践ですが、この段階では想像と空想から作り出した神経症的な人生脚本しかありません。
神経症的な人生脚本を実践しても、そもそもが想像と空想。つまり思い込み、決めつけなので、リアリティーがありません。
本性にある良い資質を体感するには、リアリティのあるライフプランが必要です。
花開く良い資質を実感するためにライフプラン
十牛図は禅の入門書の役割があるので、一般人に置き換えると牽牛は人生への登竜門と言えなくもありません。
具体的には人生脚本の書き直しを通じて「自己発見」をすることです。
「見跡」は、本当の自分の存在を見つけた段階なので、もっと詳しく知るために、自分への理解を深めます。
本当に自分を阻害しているには幼児期に歪んだ認知と禁止令で書いた人生脚本です。
これを修復するのが昔は仏教、その実習といて禅、現代社会では心理学、交流分析、100年時代のいまでは生産性の点からライフデザインを形にしたライフプランを推奨します。
人生脚本には煩悩がテンコ盛り
ライフプランは客観的で冷静で合理的なものです。
アスリートがよりよい結果を求めて研鑽に励み能力をアップしていくことに似ています。
一方、人生脚本には、そういう具体的なものがなく、三毒に代表されるような感情が埋め込まれています。
具体的になにかやるより。もやもや感情がモチベーションになって行動することが多いようです。
いかここ」を考える成人の思考より、ラケット感情(幼いことのに慣れ親しんだ感情)でモチベーションにします。
実際の問題化帰結より、脚本に合わせたエモーショナルな行動に走って環境を操作しようとします。
しかし、問題解決、目標達成に、ラケット感情効果を発揮することはありません。


十牛図とライフプラン




まとめ
「十牛図」見跡の本質は、「いまの自分」が存在することに気づいた状態です。
「いまの自分(=本当の自分)」に自分らしさの良さを体感するには、具体的な行動が必要です。
頭で知る・わかっただけでは、真に生きたことにはならないからです。
まだこの段階では具体的な作業にかかっていませんので、次のステップにいくために、自分がどうなっているのか、よく認識(理解)します。


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