随所に主なれ、だから心のあるがままに自粛する

神通川 もともとのいのち
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自粛を日本人はどう行動すればいいのでしょう。
自粛という言葉に惑わされずに、なにをしたいのかを掴むところに英智があるのではないでしょうか?

自粛と言われても無視すれば、自律ができないので他律になります。

自粛にどんなメリットがあるのか探ります。

 随所に主なれ、だから自粛する

ブッダの言葉「随所に主なれ」でも仏教では「無我」を説きます。
「無我」自分はいないのに「随所に主なれ」。・・・ずい分矛盾しているように感じます。

自粛の目的に「慈悲」という言葉をふりかけてみれば、どうなるでしょう。
「慈悲」にはなにか特別な印象を抱いてしまいます。

しかし英語では慈悲は、compassionになり、共感あるいは思いやりと翻訳されます。

共感と慈悲

随所に主たれ

たとえば外出自粛と言われたら、外出したい気持ちはあなたも私も同じです。と思いやるところから、共感が生まれます。

共感はすでに手をさしのべる準備態勢に入ったことを意味します。

つまり他者の心、思考を自分の心に映したものです。

では、この場合はどうでしょう。

自分が人に嘘をついた。嘘は思考を行動にしたものです。
心はそれを知っているので、自分を否定します。
つまり他人は騙せても自分は騙せないのです。
どこまで騙してもどこまでも追いかけてきます。

この逃亡劇に払う精神的な労力は人生の無駄でしかありません。
もっと生産的なことに使える労力が無駄になります。

言いたいことは、「共感」という点から眺めると、自分の心と他者の心は、自分が分けているだけで、川の支流のように本来は分かれていないものを言葉の上で分けているだけのことです。

神通川の支流は宮川であるのと同じです。つまり「無」です。
「無」はないということではなく、自他というように「分け隔てが無い」ということ。

そこを開くと、一人一宇宙が他の宇宙と繋がり大宇宙に入れます。

人は一人一宇宙だけど、大宇宙なしに存在しえないことになります。

「随所に主なれ」は重要なガイドラインです。

常願寺川

心は川です。

川を止めることは心臓を止めるようなことなので、できません。

心の働きに「思考」があります。

思考は川面の現象のようなものです。

思考に使われる代わりに思考を使う

神通川

思考の主は自分です。

気をつけたいのは、思考を自分そのものだと勘違いして、思考に使われないこと。
思考を使うのは自分です。

思考に使われる代わりに思考を使うことを教えてくれたのがブッダであり、「マトリックス」のモーフィアスです。

SF映画の最高峰「マトリックス」に学ぶ

マトリックス

ここが「マトリックス」の作品(=伝達力)としてのすごさですが、モーフィアスは主人公ネオの夢のなかでもメンター(心の師)として指導します。

つまり自分(=ネオが思っている自分)はいないのです!

モーフィアスは夢の中でも恐怖と不安で動けずにいるネオに自分を信じるように促します。

その結果、真に自由なネオが誕生します。それを映像では、予知能力、超人的な技で表現しています。本来、人に備わっている能力の可能性を制限しているのは思考だと思い知ります。思考は心を映したものに過ぎません。

では「思考を使う自分」とはどこにいるのでしょう?心はどこにあるのでしょう?

それが「空(くう)」です。

空とは源です。源から流れ出る川(こころ)にもともとのいのちがあります。

自粛する8つのメリットと過剰反応する細胞の自滅を救う方法
もっと、もっとと願うことが、大切でないことにまで執着心を持ってしまい、自分が真に求めるものを分からなくしてしまいます。バタバタを追い求めることがすでに自分を見失っていると気がつかないので、うまく行ってるような錯覚してしまいます。自粛(=主体的な制限)は自分い気づく、もっとも簡単な方法です。

まとめ

思考に使われる代わりに思考を使う。
思考は自分ではなく、心が映り込んだものです。

?・・・心と自分は別になりますね。心がなにかに執着すると自分が表れます。
つまり「あるがままの自分」とは表現だけで、「あるがまま」と「自分」は別になりますね。

「あるがまま」だけを残せばいいのです。

すると「マトリックス」の主人公ネオのようになります。

随所に主なれ、だから心(=もともとのいのち)のあるがままに自粛する

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